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本棚・書庫
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第57回坩堝第58回位置第59回青森第60回模様
第61回王様第62回四角第63回半島第64回懸垂
第65回全身第66回回転第67回珈琲第68回反対
第69回夫・妻第70回隣人第71回危険第72回書類
第73回眼鏡第74回午前・午後第75回人形第76回世界
第77回仲間第78回教室第79回椅子第80回阿吽
第81回土地第82回煙突第83回 第84回 
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邨忌出羽三山の高曇り    町田十文字

★楸邨忌は七月三日である。波郷、草田男とともに人間探求派といわれた楸邨はおおどかな感じのする俳人だった。出羽と楸邨のかかわりはよくわからないが高曇りによって格調高い一句に仕上げられた。(千晶)

未熟なる羽根も魅力の天道虫    町田十文字

★この句は黙って拝見するより、声に出してひと続きにすばやく読み下すと天道虫がつるりんと浮かび上がってくる。未熟、魅力のミ音のたたみかけが効いているのであろう。この句に続けて、〈翅わっててんたう虫の飛びいづる〉、と高野素十の句も口誦すると天道虫はいよいよ愛らしい。(昌子)

とんぼうの生まれて羽の空のいろ  ショコラ

★生れたばかりの蜻蛉が草葉にそよいでいる。その羽は透け透けであるから、羽の色イコール空の色ということになる。蜻蛉に幸あれと願うような空の色である。繊細にして空間の大きな句柄である。(昌子)

★無事に羽化した安堵感と穢れのないうぶ(生、初)な瞬間を読者もけ取りました。自然が穏やかでなければ繊細な句は生まれません。あきつしまの空のいろが永遠に美しくありますように。(恵子)

羽折れしボスポラス海峡の夏        乙牛 

★ボスポラス海峡の大景で考え、羽折れで考えこむ永遠の謎かも知れぬが、何が始まるのかまた考える。(もとつぐ)

★ボスポラス海峡は、トルコ北西部の黒海とマルマラ海とを結ぶ海峡で、沿岸には懸崖が多く、古城址が点在し、アジアとヨーロッパとの境界で、交通と軍事上の要地である。揚句の面白さは「羽」を何に見立てるかである。羽根車に蒸気を当て、その衝撃力によって推進力を得る蒸気船を浮かべてみると面白い。1世紀ほどさかのぼってみると、夢とロマンが甦ってくる。将又きな臭い事かも知れぬ。(竹野子)

蕪島や羽ふわふわと声高し        acacia

★蕪島(かぶしま)は青森県にあってウミネコの繁殖地として名高い。今年、桜の季節に訪れてその大群に恐れをなしてしまった。無季俳句だが「蕪島や」の打ち出しが夏の壮快な季節感を伝えている。(昌子)

★・・・・鮫の港は潮けむりつるさんかめさんつるさんかめさん・・・・・・・・・
思わず八戸小唄が口に出る。経島とともに列島の南と北に天然記念物があるのも面白い。それで蕪島なのでしょうが無季でした。(恵子)

キューピーの羽根の小さく浮いて来い  猫じゃらし

★キューピーさんが登場した。確かに背中に髪の毛とおなじ着色の羽根がついていた。幼児を水遊びさせる若いお母様を想像する。かし作者は常に老練な目配りを忘れていない。前回「角」がテーマの「龍角散が口の中」もそうであった。(恵子)

羽を得て目線を高く竹とんぼ    町田十文字

★その昔、夏休みになると竹トンボを作ってよく遊んだものだ。羽は風の抵抗を滑らかに受け流すため、左右対称に半分薄削りにして真中に穴をあけ籖を通して出来上がる。両手のひらで揉み上げるように回転させて空へ放つ遊具である。竹とんぼの目腺となって大空を飛びまわる作者の幼心が懐かしいく思われて楽しい・(竹野子)

さりげなく高座にぬぎし夏羽織    いはほ

★え〜、毎度ばかばかしいお笑いを一席・・・。などと口上を述べつつ高座に脱ぎ落す羽織であるが、これより笑いの主人交となって皆々様を笑いの坩堝に誘いまする。という語り部のイメ--ージをしかと受け止めた作者に乾杯です。万来、満場の喝采を受けたであろうことが想像され、いつまでも余剰の残る確かさがある。高座の内容に一切触れなかった、かえって余情を深め盛夏を乗り切るパワーを得た一日であったであろうことがうれしい。(竹野子)

★数日前に送られたきた宅急便の包装を解くと、木綿の大風呂敷が出てきた。水色に大きく『圓彌』と白抜きされた文字ではじめて香典返しであることに気がついた。高校の同級生だったが卒業と同時に圓生の弟子になった。真打になったのが何時だったか忘れたが、スター性には乏しかったように思える。日曜の夕方番組の「笑点」にもレギラー出演していた時期があったが、すぐに消えた。数年前から」肝臓癌だったが、健気に高座もこなしていたようだ。その死を知ったのは五月の連休の新聞紙上だった。お通夜のあと4,5人の同級生と浅草の彼のマンションの前まで足をのばしてみた。彼の住んでいた高層の窓からは隅田川が見える筈である。天国でも羽織を脱いだときの青にも鼠色にも見える着物が映えるのだろうか。(喜代子)

空中で羽蟻が翅を伸ばしをり   石田義風

★空中で羽蟻が羽を伸ばしていたからと言って、なんの不思議もない。だが作者はそのごく当りまえの風景。それも、蝶や燕や鷺とは比べ物にならない微小な羽蟻の翅に焦点をあてている。その小さな蟻が小さな羽根を伸ばしているのを、感じ入っているのである。命のありようをしみじみ愛しみたいようなひと時が、ふいに襲うことがある。(喜代子)

青鷺の中洲飛び去る羽田沖    町田十文字

★「羽田」の地名に触発されながら航空機の行き交う羽田の寸景が浮かび上ってくる。構成力の力量。(もとつぐ)

とりもちの竿に羽根付く蜻蛉釣り   町田十文字

★ 動画の一瞬のストップモーションが決まっている。蜻蛉捕りも蜻蛉釣りも同じように思っていたが、男の回想によると大いに違うらしい。蜻蛉釣りは、一句のようにとりもちを使うのもあれば、竹の先の糸に雌のトンボを結び付け、くるくると竿を廻して雄を誘い出して捕まえたり・・捕虫網でもって、バッと捕まえる蜻蛉捕りよりはるかに芸があって、スリリングとか。なんでもないような一句に見えて、文字通りトリモチに捕りつかれたように惹き付けられる一句である。(昌子)

うたかたの羽振り良し悪し生ビール    恵

★死んだらお墓は生ビールで洗って欲しい、いやお墓なんていらない、ジョッキを傾けてもらえたら、もうそれだけで死んだ甲斐があるというもの。何故、かくまでビールが好きなのか、今わかった。一句の「うたかた」がすばらしい、生ビールの醍醐味そのもの。「喉元過ぎれば熱さ忘るる」という諺があるが、生ビールの喉越しに地位も名誉も一切消えてなくなる、と解釈しよう。暑さ忘るる、生ビールにカンパイ!(昌子)

春光やレンズの中に羽づくろふ   徹

★なんて美しい句であろう。焦点がしぼられている上に、韻律が簡潔であるから、読者はしばしレンズの中をのぞきこむようにして、うるわしい春の日射しを浴びさせてもらえる。春光は一直線に一鳥にいていて繊細な感覚を放っている。いかにも早春の日射しである。(昌子)

★町の自然観察会で近くの酒匂川の翡翠をみた。全くこの句の通りですぐにその日のことをおもい出した。据えられた三脚を覗くと、翡翠のコバルトは身じろぎもしなかった。掲句は春光によって鳥交る季節と、さらにバードウイークまで想像を広げることができた。近頃電車の中で化粧する破廉恥な女たちを見るけれど、レンズのなかの羽づくろふはとても好ましい。(恵子)

始祖鳥の羽ばたきし日や夏の朝   祥子

★始祖鳥の発見により神秘な朝が始まる。一つの言葉の発見から展開する世界の豊かさ。(もとつぐ)

宙歩く夕映えの羽消ゆるまで  石井 薔子

★夕映えの光の中をゆきながら、身に届く夕映えの感触を喩えるなら羽のように感じたのである。ながいながい夕映えの羽、それは宇宙の感触でもあるのだ。「夕映えの羽」の語感がふと、はるかなジュラ紀や白亜紀の空気を運んできてくれる。(喜代子)

片羽は銀河の岸にかけてある  坂石佳音

★羽・銀河・岸・この三点のいろいろなバリエーションを楽しみながら句を作るのもきっと面白い。三つの単語の羅列にすぎないのに、これだけでなぜか詩が成り立ってしまうのも不思議だ。ここではこれらの単語をつなぐの「かけてある」ということば。それが心象風景を映像化させている。地上の作者にとってその片羽こそが未来へ用意した心なのである。(喜代子)

見栄と言う 心の黴や 羽抜け鳥   鈴木 絹子

★見栄といい心の黴といい、いやはやつかみ所のないものをならべてひとつの世界をうまく現したものである。羽毛の抜け替わる頃の鶏ほど哀れなるものはなく、抜け落ちた羽毛に対して、人間の持つ見栄という醜さを凝縮した心の黴と捉えた感性の豊かさに拍手を送りたい。(竹野子)

版下を払う羽箒夜の秋   ヒデ

★出来上がったばかりの版下を羽箒でやさしく払っているのである。それだけのことなのだが、夜の秋という季語のはたらきで、こころの涼しさまで感じられる。ほっとこころ和むひとときである。(千晶)

★紙の上を滑らす羽箒の乾いた音に、一仕事片付いた安堵感が広がる。軽くなったその肩に晩夏の涼風を覚えたとき、忽ちにこの一句がなったことであろう。何の誇張もなく無理のない自然体をうらやましく思うのはめったにない版下という句材が生かされ、よい羽が見つかったこと。旧かなの場合は払ふになる。(恵子)

★版下とは、木版・印刷などを彫るための下書きで、彫るべき絵にまたは文字を薄い紙に描きこれを裏返しに版木・印材に貼りつけるもので、版下の良否が作品に直結する。夜の秋とは、晩夏の頃に夜だけ秋めいた気配のあることで、夏の季語である。掲句の場合、晩夏の一日を時の経つのも忘れて描いては消して、消しては描いて、やっと描きあげ、消し屑を羽箒で払いおわったその刹那に秋めいた気配を感じたのであろう。(竹野子)

雨晴れ間羽化のごと干すシャツズボン ミサゴン

★何とも、荒梅雨の今年であるが、つかの間の洗濯日和、所狭しと吊り下げられたベランダあたりの風景か・・・。この句の眼目は「羽化のごと」である。子宝は2〜3人の男の姿が目に浮ぶ。日1日と成長する期待と不安のいりまじった脱皮?の情が、頼もしく、ユウモラスに迫ってきて希望のもてる1句となった。(竹野子)

揚羽蝶飛び立つ先を決めかねし  好江

★今を盛りの花を得て、まるで何ものかにとりつかれたような蝶のしぐさ・・・。本能の赴くままに今を生きるものに先を決める要のありやなしや。この先を決めかねているのは、蝶に同化している作者自身の遊び心かもしれない。(竹野子)

羽毛ふとんが夏の縁側占領す  acacia 

★羽ふとんで思い出すのは昭和20(1945)年の秋に復員した父が唯一背負ってきたのが病院で使うような白い布団、--それも羽布団だった。当時、羽布団など使っている家があったのか無かったのかもよく分からなかったが、現在考えると違和感のある寝具だった。この作品の羽毛ふとんは現代ではどこにでもある風景であるが、羽毛特有のふくらみが、縁側を占領している光景は家族の平安を象徴している。(喜代子)

月凉し兎は一羽耳長く   町田十文字

★兎はなぜか一羽二羽と数える。そして月にはいつも兎がお餅を搗いているのである。この兎は作者が見た月の兎か、あるいは地上の兎なのか。どちらにしても、兎の耳が長いことに拘る作者がここにはいる。そのことがまた、兎の姿をより兎らしく描かれて、物語へ誘うのである。(喜代子)

月光にヒマラヤ杉は羽根拡ぐ 戯れ子

★月の光の明るさの中に、ヒマラヤ杉が一本 黒々と立っている。その枝の張りがまるで 翼のように見えるのだ。白々とした月光に ヒマラヤ杉の黒い量感の対比が静けさの中で描き出されている。(千晶)

羽化を待つ少女の背骨衣更        siba

★少女はティーンエイジ。そのか細い体がやがて女性になっていく。背骨に羽がはえるとともに。衣更の季語がやがてむかえる夏のまぶしさを暗示しているようだ。背骨という言葉でリアリティーが生まれた。 (千晶)

ショッキングピンクはみ出す羽根扇   shin

★こんな風に煽られたらぎょっとするだろう、まさにショッキング一句である。宝ジェンヌであろうか、浅草の劇場であろうか、あるいは野外であろうか。諸葛孔明の羽根扇でないことだけは確かだ。なまじな色ではない、生々しいピンクを羽ばたかせたところがお見事な姿態のひねり、いや俳句のひねりである。これほど勢いのある俳句を作らねばと文字通り扇動された。(昌子)

片陰やローマ字で読む新羽駅   森岡忠志

★さて、新羽駅は何と読むのだろう。こんな風に、日本人が漢字を読めなくてルビ代わりのローマ字でもって初めて納得するという体験が多々あることを掲句は示唆している。片陰という季語からも、単なる炎暑の日陰というだけでなく、少し心理的暗がりに入ったような思いに佇む作者の位置がよく見えてくる。たった十七音でこれだけの現場を読者に呈示できるのだから、俳句は凄いとあらためて驚かされる。ちなみに、新羽駅(にっぱえき)は、横浜市港北区にある、横浜市営地下鉄3号線の駅であろうかと思われる。(昌子)

★一句の中に材料の多い作品があった中で、この句はシンプルで無理がなく、好感が持てた。日常、ことに地名には、ローマ字を振り仮名代わりに、助けられることが多々ある。陰影鮮やかなな季語もよく、中七は何度も使えるフレーズではないだけに、残せる大切な一句であろう。「にっぱ」で思い出した。新羽から伊勢佐木町まで、牛車で汲み取りにきていた時代があった。往時も今も、実際の新羽には行ったことがない。(恵子)

★言い過ぎ作りすぎの多い句の中で簡潔で季語も適切だが、この駅を知らない人でにこの駅名のローマ字読みの駅名の面白さが伝わるか。(もとつぐ)

そうめん冷ゆ出羽月山の真清水に たかはし水生

★いかにも涼しそうな世界です。そうめん冷ゆ出羽月山の真清水には出羽月山そうめん冷ゆる岩清水 ではいかが。(もとつぐ)

電球の貧しき光り羽蟻の夜 敏坊

★梅雨どきに一日だけ、羽蟻が一斉に羽化するのか電球の回りに集まって、食卓まで落ちてくることがあった。「電球の貧しき光り」といったことで裸電球を灯しているような、昭和の時代を思い浮かべる。この羽蟻の夜が過ぎると本格的に夏が始まるのである。見事に情景を捉えていると思う。(千晶)

昼休み羽をのばしてソーダ水  曇遊 

★この昼休みは、大阪ならさしずめ中之島公園あたり。高層ビルを抜け出して川風に吹かれたことがなつかしい。羽を伸ばしたのは私だけど、ソーダ水もまたシュワシュワーッって大いに羽をのばして弾けたのだった。泡たちはほっぺに当ってつめたかったなあ、ああ、なんて愛らしく涼しい句 だろう。(昌子)

夏休み迎えし子等は羽を持ち  乙牛

★子供たちは、あの自由に撓うつばさの一片を手に手に夏休みを迎えるというのだ。現実にありうる景でありながら、句の世界はフアンタジーである。羽の一字が、すこぶる楽しい冒険心に富んだ夏休み象徴して軽やか。(昌子)

梅雨晴れ間羽化のごと干すシャツズボン  ミサゴン

★なぜか懐かしさのあふれた作品。オール電化の昨今でも、家族に児童生徒が居ようものなら、貴重な洗濯日和。両袖を広げた昔ながらの竿干しに翩翻とある白シャツが目に浮かぶ。なぜ懐かしいのか、ミサゴンはものを見る目が常にやさしい。(恵子)

送り梅雨きいろの合羽一列に  ミサゴン

★この句は属目写生を装っているが課題から引き出されたイメージであり、テクニックである。黄色な合羽の小学生の列に安全を祈りながらハラハラと見送ると云えば川柳的な鑑賞になるが、黄色い合羽の列の色彩は鮮明である。(もとつぐ)

半夏生羽衣を脱ぐ天女たち  こうだなを

★このような課題はいかに元の字から飛躍するかがポイントである。ここでは見事に飛躍して天女達の姿を描いている。半夏生もなかなか据わっている。日本の三保の松原の風景のみならず、ヨーロッパ絵画のニンフの群像が浮かんでくる。(もとつぐ)

羽ペンで暑中御見舞御座候  こうだなを

★羽ペンを手に入れたいと思った時期があった。ガチョウなどの羽の先を削って、それをペン先としてインクをつけながら使う姿は想像するだに優雅である。ならば文面だって文語体でなければ似合わない。(喜代子)

★一昨日、旅先で急降下する鳶の落とした一枚の見事な羽を拾った。横にいらした俳人が、ドイツにいたときこの羽の先にペンをつけて字を書いたのよ、「モーツアルトみたいでしょ」と笑われた。掲句からもモーツアルトの音楽が涼しく立ち上ってくる。御座候というご丁寧な表現がまことに美しく新しくかつ滑稽に効いている。(昌子)

白南風や羽ばたけそうなわたしです  曇遊

★白南風(しろはえ)とは梅雨が明けたころに吹く南風。もう寒さへ逆戻りすることもなく、心身ともに軽やかな気分になる。その気分が「羽ばたけそうだ」という思いに至るのが、自然に諾えてくる。(喜代子)

★おもわず、そうですか、と、返事をしそうになった。海を前に、沖からやってくる梅雨明けの知らせは、待ちに待った夏本番。もろ手が羽ばたくのか、貝殻骨から翼が出るのか。若人の夏待つ気概があふれている。(恵子)

瀧音や羽毛布団へ顔沈め  きっこ

★作者はまだ夢見ごこちなのだろう、遠近感のある時空が一編の小説になりそうである。瀧音は読者にも気持ちよく伝わってくる。精進潔斎の滝浴びには気合がいるけれど、こんな情景も一種の滝浴び、現代的でほのぼのする。(昌子)

型どおり議員全員赤い羽根   岩田勇

★全員の胸に赤い羽根が飾られているというのもかえって偽善的に思えてしまう。それが同じような背広姿で同じ議員バッチをつけた人達の胸に赤い羽根が揃っているのはなおさらである。作者はそれを「型どおり」という言葉で表現しているのである。(喜代子)

同窓会へ羽ばたいて行く南風の妻   トシ

★この句を色彩のある風景にしているのは、「羽ばたいて」である。同窓会へ出かける妻はいつもより装いを凝らしているのだろう。夫から見れば、いつもよりう浮きうきして見えるのだろう。それは微かな嫉妬心にもつながる風景である。それらのすべてが「羽ばたく」の一語に集約され、南風の吹く中の出来事なのである。(喜代子)

青嵐天使の羽の生えるころ   泰

★「風にのってきたメアリー・ポピンズ」のなかで、双子の赤ん坊に向かって風が「髪はカールがいいか、ストレートがいいか」と質問する場面がある。カールを選んだバーバラには風がやさしく吹いて、みるみる髪を巻き上げていく。したたる緑のなかで、天使になる子供とただの赤ん坊になる子供が神さまの手で分けられるたび、強い風が吹き抜けるのかもしれない。(あき子)

鳥籠のなかの諍ひ羽抜鳥   ショコラ

★鳥籠の鳥も花屋の花も、 野に生きる術を取り上げられたものたちである。美しく囀ることも悲しいが、羽抜鳥の姿は一層哀れをそそる。餌に不自由なく天敵に襲われることもないはずの、鳥籠に囲われた鳥たちのなかで諍いが存在するということも、また切ない事実である。(あき子)

太陽の塔に羽ある涼しさよ   かよ

★1970年の万博といえば、即座に思い出すのがこの「太陽の塔」であろう。大阪万国博のシンボルとして岡本太郎が制作した「太陽の塔」は確かに羽状の腕を持っている。開催中はお祭り広場から頭を飛び出させた格好で展示され、きゅうくつそうな様子であったが、今は万博公園の緑の芝生のなかで悠々と羽を伸ばす。青空の下でこの異形の塔に対峙する時、今も漂う岡本太郎その人の情熱の残像が涼やかな風を巻き起こしているような気がするのだ。(あき子)

白日傘羽霧る鳥見て入院す   石田義風

★「羽霧る」が分からず調べてみると、万葉集に「埼玉の小埼の沼に鴨ぞ羽霧るおのが尾に降り置ける霜を掃ふとにあらし(高橋虫麻呂)」を見つけることができた。「羽霧る」とは、鳥が羽を振る動作の雅言葉であるそうだ。これを踏まえて掲句を読み直すと、白日傘の持ち主がふと足を止め見つめる先が、身繕いする鳥であることに胸が熱くなる。入院という大仕事は、人間が負っているさまざまなしがらみを改めて確認する機会でもある。翼に付いた水滴をあっさり振り切って、飛び立つようなわけにはいかないのだ。(あき子)

羽振りよく銀座の街にゐて薄暑   横浜風

★最近、中高年の男性に向けた「ちょいわる」という形容詞を頻繁に見かける。個人的に好ましい言葉ではないが、ファッションは若者だけがあれ--これと挑戦するものではなく、年齢を重ね、自分自身に自信が持てる年齢になってこそ、自分のスタイルを見つけてほしいと思う。好みにしつらえた白服白靴で扇を扱えるような粋な男性に、ぜひ銀座を闊歩してほしいものだ。(あき子)


予選句

うす墨を羽で弾かせ流れ星遊起
夏の果て切羽詰まりし宿題帳
境内や羽バラバラに蝉散華岩田  勇
羽は人にとって なくてはならないもの人よ 未来へ飛び立てのりこ
羽ペンで暑中見舞いを書いてますacacia
晩夏光核タービンの羽根の罅祥子
通りあめ羽たたみ立つ水の駅 lazyhip
羽飾りの教会パリ酷暑かなacacia
天井に羽白く浮く酷暑かなacacia
羽ぱたと蝶の欽ちやん走りかな 潅木
走路よぎるつもりの黒揚羽
通りあめ羽たたみ立つ水の駅lazyhip
見栄と言う 心の黴や 羽抜け鳥鈴木 絹子
ツバメの子 巣立ちしあとに 羽ひとつなかしましん
南より一陣の風蝶の羽化祥子
草動き双眼鏡に雉の羽祥子
横莢の嚼火して壊の毛閲佩
蛍火の闇に羽ばたく音のしてハジメ
鳳凰の羽摶く古鏡星祭り遠藤 統
夏の雲帆羽根を拡げ日本丸町田十文字
炎天の駝鳥の羽を忘れたる町田
ゆき着くは九十九里浜羽抜鶏森岡 忠志
猫襲う鴉の羽音葱の花森岡 忠志
羽抜鶏ゆるゆると起きゆるり寝る森岡 忠志
うさぎ一羽夏の月には跳ねもせず
ほぼ裸なれど駝鳥の羽根かざりshin
かの人をふと思い出す黒揚羽ショコラ
夏の蝶羽の消え行く摩天楼りゅう
夏至の朝霧羽化を待つ六つの眼坂石佳音
若き日や羽飾りある冬帽子 好江
青嵐巨大風車の羽キラリミサゴン
半夏生羽衣を脱ぐ天女たちこうだなを
古稀過ぎて今羽ばたけり揚げ雲雀好江
鱗粉を飛ばす羽音や火取虫好江
夏草や奥羽行脚の夢を追ふ石田義風
うつし世の影を堕せり黒揚羽詩音
羽根揺らし特攻発ちし夏の空赤兎馬
寝も遣らず耳に煩き蚊の羽音赤兎馬
め立てのひびより羽蟻黄泉に飛ぶ潅木
白南風や肩甲骨に羽根の痕戯れ子
三光鳥光曳きゆく尾羽かなミサゴン
羽ひとつ乱れを見せぬツバクロや遊子
火蛾荒ぶ片羽の死を知らぬまゝ坂石佳音
薪能羽織袴の囃子方ハジメ
羽生えし月をめざして鯨かなかよ
茫として出羽三山の梅雨入かな威和夫
夏蝶や人に羽なく脚があり花茨
こゑ嗄らす女学生らの白い羽根石田義風
天井扇の羽のけだるし夏ホテルショコラ
キャンプ村あの子も野鳥の羽飾り徳子
雁渡る羽田空港至近距離徳子
香水の見えない羽でとんでみるミサゴン
天仰ぎこの世に蝉の羽化する日
巣立ちして羽残したる雛燕遊子
羽浮子を作る手捌き爺の夏石田義風
クレヨンの絵にばあちゃんと赤い羽根トシ
羽あげる鳥の折歃よ山笑ふ祥子
羽繕ひしてしづしづと鴛鴦涼し石田義風
片羽蝶墜ちて未来の化石かな志ん八
声出して羽衣の『花』読みにけり祥子
梅雨の日の羽掻く鳥の気鬱かな石田義風
五羽の鳩のきょろきょろして工場跡acacia
黒揚羽ソシアルダンスを特訓中詩音
掠めしは燕親子か五羽六羽横浜風
神妙に見詰む園児や蝉の羽化岩田勇
新年や羽織袴の記者会見岩田勇
寡婦燈心蜻蛉の羽をちぎりけり葱男
めずからかなひと波に立つ羽田沖lazyhip