椿の新種?

2020年4月7日

椿
もう年月の経った椿の木がある。はじめは鉢で育てていたのだが、開花と同時に錆てしまう。真っ白でいるのはほんのニ、三日。鉢植えでは栄養が足りないのかもしれないと、庭に植えなおしてみた。しかし、もうそれからでも10年以上は経つとおもうのだが、一樹が真っ白な花でおおわれることはない。

見事な大きな椿の花なので、なんとも惜しいと思って、椿の前に立っては、どうすれば錆びないでいてくれるのだろうとうち仰いでいた。大地に植えなおしてあげたのだから、少しは変化があってもいいではないかと思うのだが、鉢植えの時と全く変わらずに錆色の大輪をぼたぼたと地上に落下させるのである。

手のひらからあふれそうな大きな花で、写真に収めてみればまるでこの錆色が本来の色なのかとも思えそうな不思議な色だ。もしかしたら、新種なのかもしれない。茶色だから枯れをイメージしてしまうのだが、案外いい色ではないか。

椿と言えば、昨年の夏だったか、水上の若山牧水の足跡をたどった時に「椿の家」と呼ばれている家で、昼食をご馳走になった。大きな椿の木が目印になる家だったが、秋だったので花は見られなかったが、妖艶な雰囲気を醸し出す椿の木だった。何時か、満開時に花を見たいと思っている。

こごみの収穫

2020年4月7日

こごみ
二回のテラスにアケビの蔓が巻きついていた。今年だけではないのかもしれないが、今まで庭の管理はすべて連れ合いの領分になっていたので、気が付かなかった。蔓延ってしまってはたいへんだ。手の延ばせる限りの蔓を切り落とした。

切り落とした蔓を片付けるために庭へでてみると、連れ合いの郷里から移植したこごみが摘み頃だった。六日町では雪解けのあとの野原へよく摘みにいったものだ。

コロナウイルス禍は都会を中心に蔓延していた。明日は安陪さんが緊急宣言を出すようだ。なぜもっと小さなうちに食い止められなかったのか。事情がよくわからないが、よほど明確な症状が出ないと、ウイルス検査をしてくれないみたいだ。理解できない。

そのうえ、呼吸器が足りないし、足りても人手が足りないかもしれないらしい。それで助かりそうな若い人を優先するとか。そんなことをテレビで堂々と語るなんて怖い。

ににん78号発送済

2020年3月31日

IMG_tukusi実家の墓参に行った日はお彼岸日和だった。墓石の端っこから土筆が一本だけ生えていた。

そうして日曜日には春の雪、それよりびっくりするのは、コロナ感染者が次から次へと発生していることだ。東京だけで今日は72人とか、恐ろしいことである。ひたすら籠っているしか、防ぐ手立てが解らない。

籠っているおかげで、ににん78号の発送が一日でできてしまった。夕方には郵便局に集荷をお願いして、あっという間に、部屋がすっきりした。

人生に二度とは起こらないこんな恐ろしい巡り合わせ。わたしとしては籠ってなんとかやり過ごすしかない。

令和二年三月

2020年3月8日

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日本中の人たちが、外出を控えてこの空白の時間に済ませてしまおうなどと、こつこつ何かをしているのかもしれない。わたしもカルチャーが中止となり、受講しようとしていた講座の取りやめの連絡が入り、吟行がつぎつぎ中止になっている。

お陰で、コウ子評伝にようやく取り掛かる時間が出来た。朝から初期の鹿火屋を読んでいる。わたしの持っている鹿火屋は全部スキャンをしたPDFである。そうでなければ、枯葉のような雑誌は開くたびに粉々になってしまう。

アイパットに入れてある鹿火屋を繰りながら、PCのエクセルにメモしていく作業は時間を忘れる。まずはコウ子が初期の鹿火屋にどんな風に関わっていたのかを見渡して見ることにした。

そんなことをしているうちに、「ににん」78号の校正があがってきて、宛名封筒などを用意しなければならない。

「ににん」77号発送すみ

2020年1月2日

IMG_20200102_0002 「ににん77号」が予定通りに発行されました。私の段取りが早ければ、ホームページを管理している木佐梨乃さんが、目次、その他のUPもして貰えてしまうのだが、いまだデーターを送っていない。

今年は喪中なのだが、それでも、食べたり飲んだりはするので、娘一家が訪れていた間には、手をつけることが出来なかった。これから、木佐梨乃さんに送るものは送って、「ににん」の新年度のページを埋めてもらうことにする。

この号から、少し編集の助っ人を増やした。例えば俳句を集める人、「雁の玉章」を纏めてもらう人、順番におこなっている仲間の俳句鑑賞などを、担当してもらえる人が決まった。わずかなことのようだが、個々に順番ですよと声をかけたり、遅くなれば「まだですか」と遠慮がちに促さなければならないし、文字数が多かったり少なかったりでも、また修正して貰わなければならない。

けっこう、一企画ごとに、手のかかるものである。

晴天続きの12月

2019年12月26日

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今年は大型台風が、いくつもの河川を同時に破壊して通り過ぎた。そのために、いまだ家には戻れない人々も多い。だが、そんな惨事がなかったかのように、12月は好天が続いている。

我が家でも、この12月に入ってから突然、夫が遠くへ行ってしまった。もともと、大病のあとの余力で、療養生活を続けていたが、特別人の手を借りることもなく暮らしていたので、夫が病気である、という意識もあまり持ってはいなかった。

好天というのは有難いとしみじみ思ったのは、夫の葬儀のときである。鏡のように晴れ渡った空の元で粛々と葬儀は終わっているのが救いだった。

ににん77号編集中

2019年12月19日

DSC_1212  瑞巌寺に隣接する円通院の紅葉のライトアップは、最終の池に映った紅葉が圧巻だった。

以上までは、11月のはじめ、松島の俳句大会に選者として参加した後に書いておいたのだが、そのまま1ヶ月以上過ぎてしまった。今は、「ににん」最終校正も印刷所に入れ終わったところだ。

このあいだに、夫が亡くなり葬儀も済んた。人が死ぬと葬儀というのが、順序ではあるが、当事者にはすべてが真っ白になってしまった瞬間で、そのあたりまえのことが見えてこない。

しかし、病院では死の直後から葬儀屋さんの手配を促されるのである。死者の傍らでどうすればいいの、という感じだった。それでも無事に夫はおくりだした。世間の儀式から離れたときにやっと夫がいなくなったことを実感した。

ハロウィン

2019年10月31日

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数日前、舞岡というところに吟行に行った折に買い求めた南瓜。店の人が美味しく食べられると言ったので、ハロウインまでは、まず眺めて楽しもうと思った。

吟行でもなければ、訪れるチャンスもないところだが、駅から10分足らずのところに集会場もある。広大な田畑があって、四季折々の景が楽しめる。透明な流れのなかに目高ほどの魚が群れを成していた。

同じような魚だが身の透けているようなのと、烏のように真黒な魚が居て、それぞれは別の隊を組んでいた。明日、孫と言ってももう成人だが、遊びにくる。この南瓜をどうにか料理しようかと思っている。

武蔵嵐山

2019年10月27日

DSC_1182   26日の埼玉俳人協会の吟行会のために、前日25日から武蔵嵐山に宿泊した。本当はこの日も早くから現地へ出向いて散策をしたかったが、なにしろ台風のさなかの土砂降りの雨。会場へ出向くのがやっとだった。

この武蔵嵐山女性会館の隣は畠山重忠の館跡である。都幾川を一方の砦にした平城であるが、その遺構をなぞりながら、武蔵野の雑木林が広がっている。

翌日、吟行会の日は快晴で、婦人会館のホールの全面ガラスに映った立木が、まるで、ガラス越しの窓の外を撮っているみたいに鮮明だった。

この会館の良さは、武蔵野の雑木のど真ん中を使った建物で、宿泊棟のどの窓からも自然の樹木が見渡せることである。この景色が、ひと時危ぶまれたのは、国会で仕分けの矢面に立ったからだ。

とにかく、この風景が残されてよかった。

台風一過

2019年10月13日

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何十年ぶりとか言う大型台風ということで、金曜日から気忙しかった。午後のまだ明るいうちだったが水が品切れ。まー 1日くらいならいいかと思って帰ってきた。

テレビで台風に備えてガラス戸にテープを貼って、割れても飛び散らないようにしたりする様子が映っていた。一個所雨戸のない窓があるので、そうだ、そのヨウジョウテープとやらを買っておけばよかったなと思ったが、すでに店は閉まっている時間だった。

それからずーっと、テレビをつけるたびに、日本中のダムがあふれそうで、日本中の川が危険水域に達しているかのような騒ぎだった。携帯には絶え間なく避難勧告の緊急メールが入った。

ベットに入る頃が台風の襲来する時間と合ってしまい、雨戸に当たる雨が新聞紙をガサガサもんでいるような音に聞こえた。そのせいではないのかもしれないが、なんとなく寝付けなくて何回も起きて雨を確かめていた。昔もこんなふうに、眠れないで過ごした台風の夜があった。

台風は、4時ごろはもう北上したようで、静かだった。雨戸を半分開けて外を眺めると満点の星空だった。こんな日なら、外へ出れば銀河も探せるかもしれない。

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