‘喜代子の折々’ カテゴリーのアーカイブ

金色の月

2018年1月11日 木曜日

このところ、明け方の4時ころ目覚める癖がついている。9日の日も同じ時刻に目ざめて、ふと外を見ると何やら空で燃えているようだった。乱視があるので、片目でもう一度東のそらを見上げた。雲がかかっているせいもあるのだが、きちんと三日月にならない。なんだか今にも燃えながら落下してきそうに焔立っていた。

翌日もやはり同じ時刻に目が覚めて、気になっていた月を眺めた。今日も金色に焔だっていた。それより、なんでこの東側の窓から、明け方の月が見えるのか不思議だったが、あまり深追いしていると眠れなくなるので、寝室に戻った。

今朝、暦を繰ってみると、9日は下弦の月だった。月の出の時間をみると、10日が0:33分、11日が1:30分、だからこれを書いている10時はまだ月が出ていないのだ。朝方に東向きの窓から月が見えるのをようやく納得した。

ついでに書いておくと、今月末は皆既月食だそうである。

明けましておめでとうございます

2018年1月4日 木曜日

ににん69号は新年1日、2日のあたりで届いたようで、いちばん丁度良い頃合に到着したようで、やれやれです。戌年なので、雑誌のあちらこちらにワンちゃんを遊ばせました。あたらなカットの書き手山下添子さんの手になるもの。本年もよろしくお付き合いください。
DSC_0083 新年は仙台の娘の家で過ごしましたが、帰る日の朝、雪景色が見送ってくれました。さてと、新たな年に仕切り直しをしてみても、何をどうすればいいのかわかりません。ただただ、今年も目の前のやらなくてはならないものをやりこなす、ということで終わってしまいそうです。
 

 

神様は聞いていた

2017年12月14日 木曜日

DSC_0071バス停の広場の隅の道祖神の周りに、10日ほど前まで毎日零余子がぼろぼろ落ちていた。

見上げても芋の蔓も葉も見当たらないので、立ち木の相当高いところを這っているのだろう。その実も、このごろは落ちつくしたのか、まったく見当たらない。

ちょっと残念な気もしたが、到底手の延ばせないところの零余子なの仕方がない。
ところが、その零余子がたくさん送られてきた。一升枡にいっぱいになるほどある。

バス停で幾度も物欲しそうに梢を眺めていた私の心を、神様は汲み取ったみたいだ。吃驚である。

とりあえずは塩茹でで食べてみた。味は里芋とまったく同じである。あとは何にしたらいいのか。火曜日にはカルチャーがある。みんなに神様のお裾分けしようと思う。

69号ににんの再校も済んで、今日は印刷所に送ったので、あとは出来上がりを待つばかり。

銀杏並木

2017年12月11日 月曜日

DSC_0064  信濃町駅から明治記念館までの銀杏並木、ことに球場側の道が落葉の絨毯になっていた。写真は日曜日に撮ったもの。何がというわけでもないが、ずっと眺めていたいような風景である。

絵画館前でなくても、見事な銀杏の落葉道になった。 そうして今日は「ににん」の例会、三日間連続の外出だった。明日からのんびりできると思ったが、届いていた荷物を見たら埼玉文学館からのもの。中身は見なくても分った。俳句応募作品の山である。

そうしてパソコンを開けたら、三原プリントさんから「ににん」の校正を送りました、というメールが入っていた。来週までに佐藤大志の『海炭市叙景』を読まなければならないし、贈呈された書籍は封したまま、積み上げられているし、どうなるのだろう。

今月も三分の一が過ぎた。まだ吟行が二回、読書会とそれに続く忘年会、カルチャーが三か所、そうして、年末は恒例の「ににん」発送が控えている。 もともと、忙しくてこのブログを書くのも間遠くなっているし、映画を観る時間も諦めざるを得ないと思っているのだが、これ以上省くものがあるだろうか。

いよいよ師走

2017年11月29日 水曜日

穀象なんでこんなに忙しいのか、とおもうほど忙しい。そんな中ようやく句集が誕生。よりによってこんな気持ちの悪い虫の名前を句集名にしたのと思う方がいっぱいいると思ったが、わたしは、この立派な名前が気に入っている。

『穀象』という字面からも昔話りにでてきそうな名前ではないだろうか。体調三ミリほどしかない虫に誰が穀象なんて名づけたのだろう。ふらんす堂さんも苦心して、見たこともない虫を画像化してくださった。これが出来たので、心置きなく俳人協会の自註シリーズにとりかかれる。

    穀象に或る日母船のやうな影

萱かしら

2017年9月27日 水曜日

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まさに水澄むの季節で、川の水がよく澄んでいる。鮎くらいの魚が群れて、時々水底の砂利に貼り付く。多分水苔を食べるのだろう。同じ川に端で小さな魚の群が、大きな魚とは決して交わろうとはせずに泳いでいる。

この川の土手に、この水澄むころになると、写真のような萱の類かなと思う丈高い草が茂って旅心を湧かせる。よく見かけそうな草なのだが、名前が判らない。そのうち、図書館で探してみようかと、思う。

今日から「ににん」の発送準備。

苦瓜

2017年9月12日 火曜日

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そろそろ終わりではないかな、と思っているのだが、翌朝になるとまた幾本かの苦瓜を見つけてしまう。夏の間は涼しい緑のカーテンなのだが、このごろはちょっと鬱陶しい感じになったので、そろそろかたずけてくれないかなーと思っている。

烏瓜の花

2017年8月27日 日曜日

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三年間限定の句会を終えて、エドモントホテルで打ち上げも済ませた帰り道。いつも気になっていたバス停に咲いていた烏瓜の花。どうやって持ち帰ろうかと思ったが、手っ取り早く一つだけ花を持ち帰った。

これは闇夜にしか咲けない花である。昼間の強い日差しに当たったとたんに萎れてしまいそうだ。紫陽花でも真昼は生気をなくすのだから、それは仕方がないことだと思う。

ところで、この三年間限定としたのは、席題に慣れるために始めたもので、この三年間の句は幹事が記録しておいて、これから冊子に纏めることになっている。俳句は句会をしてればいいと思うようだが、それでは途中からだれてしまいがちである。

ときどき、すべてを見わたすことで、自分を認識する必要があると思う。

極暑

2017年8月8日 火曜日

20170808_183549_Burst01  一日中、極暑という感じだった。買い物にバスを使うのは、近くのスーパーにいくよりも時間はがかかるのだが、炎天下に荷物を持って歩くのを免れる。

雨粒が顔に当たっていたが帰りのバスに乗り込むと、近くの一棟のビルだけに日が当たっていた。変な天気と思いながら、バスの外を眺めていると今度は虹が見えた。

かなり局部的に、晴れだったり曇りだったり雨だったりしているようだ。今年は豪雨のために幾つもの川が氾濫した。

地震などとは違って規模が小さいのであまり大騒ぎもしていない。しかし、大騒ぎをする暇もなく次の災害が起こっている。今年は何か所の川が氾濫したのだろう。

さてそろそろ「ににん」の原稿が入り始める時期。8月はお盆と重なって、なんだか煩雑になる。受けた原稿は速処理して、収めるところに収める。出すべき返事は後でなどと思うと紛れてしまう。秘書の居る人が羨ましい。

立秋はまだ?

2017年8月2日 水曜日

20170728_114208_Burst01写真は一週間ほど前の仙台駅で収めたもの。まだ街中には飾っていない。飾られるのは6日の夜あたりかららしい。

立秋は7日の筈だが、今朝の涼しさは秋そのもの。秋風ってどっちから吹くのだったか。毎年のことなのに覚えていない。今朝の風は南の窓から入り込んできた。確かに体が覚えている涼風である。

それでも、今年は相次ぐ豪雨が各地に河川氾濫を起こしている。そんなに水があふれたところがあるにも関わらず、水不測だとか。

さて、今月はににんの編集月、気を引き締めないと終わらない。なんでこんなにいそがしいのだろう。今年は映画を殆ど見ないまま半年過ぎようとしている。

あまり忙しいので、映画を意識的にあきらめていたのだが、五十嵐さんが是非と進めてくれた岩波ホールの「静かなる情熱 エミリ・ディキンスン」 は見てきたい。

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