稲畑廣太郎句集『八分の六』 2009年10月 角川21世紀俳句叢書

著者の第二句集で八年間の集成のようだ。
先日、松田ひろむ主宰の「鷗」の八月号で虚子の系図を読んだばかりである。虚子の曾孫、すなわちホトトギスの直系として「ホトトギス」の編集長でもある。これを見るときにプレッシャーもあるだろうな、という思いしきりになる。

   初刷といふホトトギス二月号
   麗かや眼中は皆虚子のもの
   栗踏んで虚子の歩きし径を行く

稲畑廣太郎氏はそれを充分意識して、その上でそれを肯定する生き方を選んでいるように見受けられる。
 言い方を変えれば、居直って虚子の影を自ら踏んでゆく意思が感じられた。

   幾万の椿落ちねばならぬかな
   決断は炬燵を出でてよりのこと

 一句目には虚子の「ゆらぎ見ゆ百の椿が三百に 」。二句目には「春風や闘志いだきて丘に立つ 」が甦ってくる。

   虫売の籠に子の顔はりつきし
   紫陽花の毬蹴つてゆく羽音かな
   鐘朧新法王はドイツ人
   風呂吹を吹けば海鳴り遠ざかる

のびやかに、ものの本意を差し出しているこれらの作品は、肯定したわが意思の延長上にあるように見受けられる。

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